―本日ご紹介するのは、大阪府で工務店を経営されている北川さん。北川さんの工務店「アティックワークス」では、地震に負けない家づくり、持続可能な家づくり、そして家族が豊かで愉しく暮らせる家づくりを行っている。
今回はそんな北川さんに、ご自身の建築観に影響を受けたエピソードや、現在の家づくりのコンセプトに至った経緯、家づくりにおいて大切にされていることなどについてお伺いした。
目次
人工エネルギーに頼らない家づくりを。
―お父さまが建売住宅業を経営されていたということもあり、自然と建築の道を志すようになったという北川さん。専門学校を卒業後は、大阪府堺市の一級建築士事務所に入社。事務所で働かれていたある日、北川さんの建築観を大きく変える出来事が起こる。
北川さん(以下北川):僕の建築観が大きく変わったきっかけ、それは東北大震災です。地震が発生したその日は、勤めていた設計事務所で働いていたのですが、仕事が終わり帰宅してから「すごい地震が起こっている。とんでもないことになっているぞ」ということを知りました。
テレビをつけてみると、家や街が津波に飲み込まれている、衝撃的な映像が流れていました。
原発の事故も画面越しにですが目の当たりにして、「建築に携わる身として、自分も被災地に行き、この目で確かめなければならない」と感じたのです。ですが、その時は大阪の設計事務所に勤めていましたので、すぐに長期休みを取ることができませんでした。
2年の月日が経ってしまいましたが、その事務所を退職した次の日に、東北へ向けて車を走らせました。
実際に被災地に行き、山の方から街を見下ろしてみると、もともと家や建物があったところが、何ひとつない更地になってしまっていたのです。
その時は「津波でこんなにも街が破壊されてしまうものなのか」と感じました。
ですが、役所の若い方たちと会話をしてみると、ただ何も進んでおらず更地なわけではなく、土地の所有権の問題だったりで時間がかかっていることも分かりました。僕が想像しているよりも復興は進んでいるんだなと感じましたね。
―復興の兆しが見えている市街地の一方で、その真逆の印象を受けたのが、福島第一原発付近の街の様子だった。
北川:原発方面へ車を走らせて行くと、僕以外の一般車両は全くなく、走っているのはパトカーや護送車だけ。
全員が防護服を着用しており、「本当に大丈夫なの?」と思うほど、異様な空気が漂っていました。道路の草木も伸びっぱなしで、倒壊した建物もそのまま。
普通に歩いている人も、住んでいる人もいない。まるで、あの3月11日から時が全く進んでいないよう。
市街地とうってかわって、原発周辺は復興できる気がしなかったのです。そんな光景を見て「原発は絶対にやめておいた方がいいな」と漠然とですが感じました。
それまで家づくりにおいて、エネルギーについて考えたことはあまりなかったのですが、「どうすれば人工エネルギーではなく、自然エネルギーを使った家づくりができるのだろう」「子どもたちに良い環境を残してあげられるのだろう」と考えるきっかけにもなりました。
住まう人の命と幸せに責任を持つ。
―福島に訪れた後に、北川さんはご自身の設計事務所を設立。設立当初は設計を専門にされていたそうだが、施工も行う工務店へと変化していった。
北川:「自分が納得できない建物は絶対に建てない」それが僕のこだわりです。世の中の多くの家づくりでは、設計と施工する会社が分かれており、設計士さんがいて工務店さんがいて一つの住宅が完成するイメージなのですが、アティックワークスでは設計から施工まですべて一貫して行っています。
一貫してすべて行うということは、すべてが自分の責任。
建てた家、その家族に、すべての責任をとれる家づくりを行っていきたいです。
ですので、自分が納得のいかない建物は絶対につくることができません。納得していないものを建てる=責任が取れないことになってしまいます。そこは絶対に曲げられません。
例えば地震によって、僕の建てた建物が揺れに耐えきれずに倒れてしまい、その家の方が亡くなってしまったとしたら、間接的にその原因をつくってしまったのは、僕だと思うのです。冬のヒートショックも同様。
ヒートショックは、熱いお風呂と寒い廊下や脱衣所の温度差によって引き起こされる症状。家に温度差がなければ、ヒートショックは起こりませんし、家の温度差で亡くなってしまったということは、その環境をつくった自分にも責任があります。
亡くなった人を生き返らせることも、倒れた家を完全に元通りにすることもできません。家は家族の命を守るもの。家づくりはそのような責任も伴う仕事だと僕は考えています。
―建てた家に責任を持つ。北川さんの強い責任感の裏には、ご自身の辛いご経験があったからだと語る。
北川:実は僕には、じいちゃんがヒートショックで亡くなってしまったという実体験があります。
とても元気なじいちゃんだったので、突然の訃報を聞いたときは信じられませんでした。やはり辛いものがありましたし、「ヒートショックがなかったら、もっと長生きできたのでは…?」と思うこともありました。
住宅環境が悪かったために、家族が亡くなってしまったということを経験し、自分のお客さまには同じ思いは絶対にさせたくないと思いました。
次の世代に良い環境を受け継いでゆく。
北川:僕の建築観が変わったもう一つの大きなきっかけ、それは子どもが生まれたことです。
建築の仕事をやり始めた当初は独身で、自分のことしか考えてないと言いますか、自分が良ければそれでヨシという考え方をしていました。ですが子どもが生まれてからは、「子どもたちや孫たちに、どうしたらよい環境を残せるのかな」と、僕らの次の世代のこと、未来のことを考えなければという想いが強くなりましたね。
先ほど、亡くなった僕のじいちゃんのエピソードをお話しましたが、おじいちゃん·おばあちゃんが、ひ孫世代が会える時間は、本当に短い時間だと思うのです。
その時間をどれだけ伸ばせるかというのは、いかに良い環境の快適な家をつくれるかにあると思っています。住環境が良ければ、家族のつながりも強くなる。僕のつくった家で、未来に良いもの、子どもたちにとって良い環境を残していきたいです。
子どもが生まれたこと、被災地での体験、急死してしまったじいちゃん、このような出来事を通して、“地震に負けない家づくり”、“原子力にたよらない家づくり”、“持続可能な家づくり”、“温度差のない家づくり”、これらが僕の目指す家づくりとなりました。
家づくりは「人」を見てほしい。
―最後に北川さんから、これから家づくりを行う人へメッセージをいただいた。
北川:家は建ててもらう「人」がとても重要だと僕は考えています。
世の中には、デザイン的に優れているとか、コストが安いとか、断熱が得意だとか、いろいろな家づくりをしている会社があります。
もちろんどんな建物かというのも大切なのですが、一番大切なのは、実際に家をつくる「人」。例えば、日本で一番有名な建築家さんに家を建ててもらったとして、建物自体は良いものができたとしても、その人のことが好きでなければ、建て主にとって本当の一番ではないかもしれません。
また、家づくりは建てて終わりではありません。メンテナンスで長いお付き合いが続きますし、価値観や考え方が合わなければ、いずれ問題が出てくることだってあります。
「僕たちはこんな家づくりをしている」「こんな価値観がある」「お客さまとはこんなスタンスで関わっていく」と、それぞれの工務店にさまざまな想いや価値観がありますので、それらに共感できる人たちと家づくりをしてほしいです。
心の底から「この工務店じゃなきゃ絶対ダメなんだ!!」と思えるぐらいの工務店や人に、家を建ててもらうのがベストですね。僕たちも「絶対にやってほしい」と言っていただけるのであれば、それに精いっぱい答えようと努力させていただきます。そうして結果として、相思相愛の関係でいい家ができていくのです。
(2021/08/17 取材:平井玲奈 写真:家づくり百貨)