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株式会社おおいた家づくりコンシェルジュ

~ピンチはチャンス!?~

こんにちは。

シーナリーハウスの西村です。

さて、
今日のテーマは、
「ピンチはチャンス!?」についてです。

「ピンチはチャンス」という言葉、よく聞きますし、よく言いますよね。

ピンチなんか起きない方が良いに決まっています。が、起きてしまったら、ピンチはピンチのままには誰もしたくないですので、「ピンチはチャンス!」と自分を鼓舞して、周りに景気づけのように言うしかないということもあると思います。

この「ピンチはチャンス」という言葉、私の好きな経営者の日本電産の永守社長の口癖であります。日本電産という会社は、モーター分野で世界シェア1位の売上1兆5千億円というとんでもない大企業です。そんな大企業も、今から50年前に小さなプレハブ小屋で社員3人で創業してから、この50年もの間に、様々な倒産の危機、ピンチが訪れてきたようです。

永守社長が言うには、これまで10年に一度ぐらいピンチが訪れているようでして、そのピンチが来た時が次なる時代に向けての先手を打つ、大きな改善をするなどの大きなチャンスになっていると言います。

ピンチがなかったら今のように大きな会社には絶対になってなかったと断言できると言っているところがスゴイです。

TVなどのメディアにたまに出てくる人なので、ご存知の方も多いかも知れませんが、この永守社長ってとんでもない熱量のある人で、とにかくバイタリティーがスゴイ、現在、80歳近い年齢でも経営の第一線に立っている人です。

私とは全然、生きている世界は違うので恐れ多いのですが、「熱量」が人を動かし、会社を動かし、社会を動かし、経済を動かす、という「熱量」の最大の教科書だと思っておりますので、陰ながら勝手に勉強させていただいております(笑)。

ピンチはそれが生じた時はマイナス要因だらけで、まさに、ピンチでしかないわけですが、その状況に変化を興さないと、マイナスの状況を打破していくために考え、行動をしないといけないわけで、その時の考えと行動が次なるチャンスを産む、チャンスのきっかけになる、ということはあると思います。

今、考えますと、ピンチが起きないと、人間というものは安きに甘んじやすいですので、現状維持のままでいいということに、どうしてもなってしまいます。

ピンチが起きて、その状況をどうしても変えなければならないからこそ、先ずは、考える。

けど、考えるだけでは状況はプラスにはならないので、実際に行動に移す。そして、その行動が、次なるチャンスにつながる。

そういうことですよね。

ですから、変化のキッカケは「ピンチ」からということになります。

あくまで、この変化を良い変化、プラスへの変化にしないといけません。

注意しないといけないのは、ピンチが更なるマイナスへのきっかけになることの方がおそらく世の中、多いんだと思いますので、それを防ぐための大きな武器は自分に対する自信、根拠のない自信でも、何もないよりはいいかも知れませんが、出来れば根拠がある方がいい、そうなるとその自信をつけるためには勉強しかないのかな!?

そう思っております。

では、私自身に当てはめてみると、どうかと言いますと、

この「ピンチはチャンス」ということ、私もまさに、大なり小なり、多くの経験をしております

全てを語っても仕方ないので、今回はシーナリーハウス誕生につながる話だけをさせていただきます。

私が、満を持して自分が工務店を興そうと思ったのが2016年の初め、それまで大分市内の「とある工務店」を精力的にバックアップというか実質的には本格的立ち上げに関わっていたのですが、そこが急遽、経営方針を家族のみで決定していきたいということで、かたちとしては追い出される格好になり、今、考えると、それまでの努力が水の泡になるようなかたちで、ある意味、ピンチの到来だったと思います。

それを、そういうことなら人の会社を頼らず、自分らしい、自分のいいと思える工務店をゼロから興そうと「ピンチをチャンス」に変えるために立ち上げたのが、今の工務店、株式会社おおいた家づくりコンシェルジュになります。

工務店の会社としての創業は2016年10月ですが、実質的には2016年春ぐらいから稼働しておりました。

ただ、創業当初、私はまだ保険業の仕事もバリバリ継続しておりまして、創業者でオーナーで会長という立場で、工務店を経営しておりました。現在、弊社の取締役の三浦は、この創業当時から設計担当のメンバーです。

この当時、社長を任せていた人間がいたのですが、いろいろと難しく、会社に大きなダメージを与えるかたちで許せない行為の後、外に出ていってしまいました。

2018年の夏のことでした。

ここで、大きなピンチが起こりました。

通常なら、ここで店じまいということになるのかも知れませんが、そんな人間に社長を任せていた私の責任ですので、それまで建ててくださったお客さまを守らなければなりません。

保険業を辞めて工務店業に専念することを決め、2018年夏に私が社長になり、西村、本気の工務店のスタートということになりました。

このピンチ時には、とにかく、いろいろと考えました。し、さまざまな情報を得るために行動もしました。出来るだけの知恵も働かせました。

その中で出てきた最良の答えが、「鹿児島ベガハウスさんを徹底的に教科書にする」でした。

それまでは社長を他人に任せていて上手くいかなかった。せっかく自分が社長になってやる工務店なんだったら、とにかく、日本のトップクラスの工務店に学ぼう!

どうせやるなら一流に学んで、一流を目指そう!そう思った次第です。

よくよく考えると無茶と言えば無茶です。

が、その時は、ピンチをどうしてもチャンスにしなければなりませんでした。

中途半端なことで一時的にお茶を濁してもどうしようもない。

そう思っての決断でした。

運よく偶然にも15年以上ぶりの東京時代のコネクションが最大に活かせ、ベガハウスの創業者、八幡さんとの接点の機会を得られ、そこで決死の思いでのお願い。

「面白いじゃないか」との八幡さんの一声で、本格的にベガハウスの家づくりを学べることがスタートしました。

2018年秋のことでした。

そこから、誕生したのが「シーナリーハウス」です。

大分で最高の家づくりを目指すのだから、当然に大分で一番カッコいい家づくりをしたい。

何より、私自身が、カッコいい家が大好きです。というか、カッコ悪い家、建てたくありません。

カッコいい家を建てていくんだから、その家は、きっとその場所の「風景」になるはず。

ということで、

~大分の風景をつくる~シーナリーハウス

ということになりました。

そうと決まれば、そこからは一心不乱の毎日。

先ずは、別府市大観山町の土地を見つけ、ベガハウスの家づくりを学ぶ最初の一棟目になる、モデルハウス「シーナリーの家」の建築をスタート。

そのモデルハウス「シーナリーの家」の完成お披露目の2019年9月から、シーナリーハウスの家づくりの歴史がスタートしました。

今が、2022年6月ですから、後3か月で、ちょうど3年。

歴史はまだまだ始まったばかりです。

産まれたことに価値があり、進化していくこと、継続されることに大きな価値があります。

これから大分の家づくり、住文化、工務店の歴史になるように精進して参りたいと思っております。

ということで、
あるピンチがキカッケでのシーナリーハウス誕生秘話でありました。

では、
今日は、これで
失礼させていただきます。

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