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アティックワークス 株式会社

目で見たリアル

こんばんは!
アティックワークスの北川です。

今日は三重の津に
工事中のパッシブハウスに
佐藤の窓の取付のお手伝いと
言いつつ見学をさせてもらいに
行ってきました。

予行練習です。
予行練習。笑

今日で3.11の地震より11年です。

昨日は原発に向かった話でした。
今日は宮城の気仙沼、
岩手の陸前高田に向かった話です。

2年経った当時も気仙沼には
打ちあがったタンカー。
(近くに海ないですよ。)

基礎だけになった街並みが
ありました。
↓ ↓ ↓
https://my159p.com/l/m/oB35iLDVcfWx8m

そして、そのまま車を走らせ、
陸前高田へ行きました。

陸前高田は奇跡の1本松の所ですね。
↓ ↓ ↓
https://my159p.com/l/m/UWvv9IMS0Pfxjm

こちらも町は
津波に飲み込まれ、
更地の状態でした。
↓ ↓ ↓
https://my159p.com/l/m/3e1L10qqkWGQCp

町中の現状の土地所有者を
探すのにかなり苦労したと
役所の方はおっしゃっていました。

新しい町の計画も土地の所有が
あるので勝手にはできませんからね。

そして、陸前高田の現地で
おじいちゃんと話す事も出来ました。

おじいちゃんは、
震災の当時、隣町の気仙沼方面が
赤く染まっていたとおっしゃっていました。
気仙沼は大火事でしたからその炎が
夜空を赤く染めていたという事です。

津波からも何とか逃れ
生き延びる事ができたと。
大変だったが、救援物資も
届き、やっていく事ができたと
おっしゃっていました。

そして、凄く印象的な事を
言っていました。

「戦争時の方が大変やったな。」

その時の僕はあんな大災害よりも
戦争の方が大変なんや。
時代が進んで、救援とかも
割とちゃんと出来るからかと
思っていました。

そんな事を考えると
戦争アカンで本間。

ロシア辞めときや。

話を戻します。
役所の人や
おじいちゃんの話を聞いたり、
町を周ってみたりして
思った事は、

この先、復興するなぁ。

でした。

原発とは全く違う風に
感じました。

これも自分の目で見たから
わかるリアルです。

阪神淡路の時は
小3でしたので
あんまり分かっていません。

そんな9年前に感じた事を
自分なりに家づくりに
生かせればと思っています。

津波はちょっとキツイかもですが、
地震には負けない家づくりを。

それでは。

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