増沢洵(ますざわ・まこと)は、自邸「最小限住居」で知られる建築家です。1952年に完成したこの住宅は建築面積9坪、延床面積15坪。限られた床面積の中に吹き抜けを設け、室内のつながりを考えた小住宅として知られています。
小さな家なら、2階の床をできるだけ増やしたくなります。ところが最小限住居では、その一部を吹き抜けにしました。床の広さを抑えながら、上下に伸びる空間を残す。増沢の住宅が考えさせてくれるのは、面積の数字と、そこで感じる広がりの違いです。

- 最小限住居の「9坪」は建築面積。上下階を合わせた延床面積は15坪。
- 吹き抜けや開口、設備のまとめ方を通して、小住宅の空間を追求。
- 後年の「9坪ハウス」には別の設計者による展開もあり、1952年の原作と区別が必要。
目次
増沢洵とは?レーモンド事務所から独立へ
増沢洵(1925〜1990)は、東京帝国大学を卒業後、鹿島建設を経て、1951年にレーモンド設計事務所へ入りました。1956年には増沢建築設計事務所を開設しています。長男の増沢幸尋が協力する自邸再現プロジェクトの資料に、この経歴が掲載されています。出典:神原・ツネイシ文化財団「最小限住居:増沢洵の自邸」再現プロジェクト資料。
したがって、レーモンドとのつながりは、作品の印象だけから推測したものではなく、事務所への所属という経歴から確認できます。師の住宅の特徴は、アントニン・レーモンドと「夏の家」の記事で紹介しています。
最小限住居とは?9坪と15坪の違い
建築面積9坪、延床面積15坪の自邸
最小限住居は、増沢がレーモンド事務所に在籍していた1952年3月に完成しました。前掲の財団資料では、建築面積を9坪、延床面積を15坪としています。「家全体の床が9坪」と読み替えると規模を誤ります。
面積を読み分ける際は、建築面積は建物を上から見た水平投影に基づく面積、延床面積は各階の床面積の合計という違いを押さえます。この作品の吹き抜けは、2階の床を張らない部分に当たります。名称に出てくる「9坪」と、実際に上下階で使う床の大きさを分けることが、最初の理解になります。
床を増やす以外に、空間を豊かにする方法がある

小さな住宅で吹き抜けをつくると、同じ建物の大きさでも、2階の床を全面に設けた場合より床面積は少なくなります。その代わり、上下につながる空間が生まれます。最小限住居は、この関係を考える格好の題材です。
ただし、吹き抜けがあれば必ず暮らしやすいという結論にはなりません。収納量、音、家族の距離感など、何を優先するかで評価が変わります。自分たちなら床を増やして得たい場所は何か、吹き抜けを残して得たい体験は何か。その両方を書き出すと、図面を見比べる意味がはっきりします。これは作品をもとにした本記事の考察です。
身近な部材と家具まで含めた、小住宅の合理性
自邸再現プロジェクトの資料は、増沢が市場で入手できる定尺部材を用い、家具も自ら設計したことを伝えています。建物を小さくするだけでなく、材料の使い方や家具のつくり方にも合理性を求めた住宅でした。出典:神原・ツネイシ文化財団の再現プロジェクト資料。
規格に合わせるというと、自由な設計とは反対に聞こえるかもしれません。しかし、使う部材を整理すれば、その条件の中で窓や家具の位置をどう工夫するかに集中できます。最小限住居の魅力は、寸法を減らした結果だけでなく、制約を受け止めて空間を組み立てた点にもあります。
現在の家づくりでは、1952年当時の生活道具や収納量をそのまま当てはめることはできません。冷蔵庫、洗濯機、仕事用の机など、今の暮らしで必要なものを置いた状態で考える必要があります。小ささを先に目標にするより、日常に必要な場所を確かめたうえで、兼ねられる場所を探すほうが設計相談を進めやすくなります。
「9坪ハウス」と、増沢の原作を区別する
後年には、最小限住居の考え方を受け継いだ別の住宅も発表されています。たとえば新建築社が紹介する「9坪ハウス“Tall”」は、増沢の1952年の最小限住居を、基本的な原則を保ちつつアレンジした作品です。出典:新建築データ「9坪ハウス“Tall”」。
このため、「9坪ハウス」という言葉で見つかる写真や間取りが、すべて増沢本人の設計とは限りません。住宅の名前、設計者、竣工年を確認することで、1952年の原作と、その後の展開を分けて理解できます。
家づくりで参考資料を設計者に見せるときにも、写真の出典と建築名を残しておくと役立ちます。同じ名称の住宅でも、敷地への向き、窓の取り方、家族の人数などが違えば、参考にできる点も変わるためです。
もう一つの代表作「コアのあるH氏のすまい」

1953年の「コアのあるH氏のすまい」は、増沢が手がけた木造平屋の小住宅です。近代建築の記録と保存に取り組むDOCOMOMO Japanは、中央に水回りのコアを置き、引き戸によって庭と一体になる開放的な空間を実現した住宅として紹介しています。1999年の選定建築です。出典:DOCOMOMO Japan「コアのあるH氏のすまい」。
ここでいうコアは、住まいの中にまとめた設備などの核を意味します。部屋を廊下で一つずつ結ぶ方法とは違い、中心にまとめるものと、その周囲に広げる生活空間という関係で間取りを読めます。
最小限住居が上下のつながりを考える入口だとすれば、この作品では平面のまとまり方に注目できます。二つを比べると、増沢の仕事を「とにかく面積を減らした住宅」という一言で片付けず、空間の組み立て方として理解できるようになります。
小住宅だけではない、増沢洵の仕事
増沢は教育施設にも関わりました。成城大学が開催したシンポジウムの資料は、成城学園のキャンパスに増沢の建築があることを挙げ、戦後モダニズム建築の歴史とのつながりを紹介しています。出典:成城大学「成城を住まう―都市、住宅、近代―」開催資料。
飲食店として使われる「レストランよこかわ」
水戸市のレストランよこかわも、増沢の仕事を知る手がかりです。建築史家の五十嵐太郎は、2021年の現地訪問を記したartscapeのレビューで、増沢設計の1971年の建築として紹介しています。これは訪問時点の記録であり、その後の建物の変更がないことまで保証するものではありません。出典:artscape「茨城県のポストモダン建築をまわる」。
店舗の公式サイトには、庭を見ながら食事ができる店内の案内が掲載されています。住まい以外の建物でも、席からの眺め、隣席との距離、窓と家具の関係は観察できます。ただし営業中の飲食店です。建築見学だけの入店や撮影を当然の権利と考えず、店舗に確認し、食事をする人の時間を優先してください。出典:レストランよこかわ公式サイト。
吉村順三・前川國男との関係を正しく読む
レーモンドの回顧展を開催した神奈川県立近代美術館は、そのもとから出発した建築家として前川國男、吉村順三、増沢洵らを紹介しています。出典:神奈川県立近代美術館の展覧会解説。この相関図では、3人をレーモンドから分かれる関係として整理しています。
吉村順三の記事は、住宅の居心地や次の世代との関係を知る入口です。前川國男邸の記事では、中心の居間と小さな部屋の関係を読み取れます。小住宅を考えるときに比較できる作品ですが、前川や吉村を増沢の直接の師とする趣旨ではありません。

最小限住居から、今の家づくりへ
小さな家を検討するなら、まず「使わない空間を減らすこと」と「使う場所を足りなくすること」を分けて考えます。玄関、通路、収納、洗濯物を扱う場所は、図面上では小さくても、毎日の生活を支える場所です。持ち物や家事の動きを書き出すと、残したい面積が見えてきます。
次に、面積以外の要素を確認します。座ったときの窓の見え方、隣の場所までの視線、天井の高さ。こうした条件も、同じ床面積の印象を変えます。広さの数字と、そこでできることを並べて検討するのが、小住宅を読む実用的な方法です。
また、開放的な空間を一年中どう使うかは、室内環境と一緒に考える必要があります。奥村昭雄とOMソーラーの考え方では、建物と熱・空気の関係を扱っています。面積の話から、心地よく過ごす条件へと読み進められます。
よくある質問
増沢洵の読み方は?
「ますざわ・まこと」です。自邸の再現に協力した建築家の増沢幸尋(ますざわ・ゆきひろ)とは別の人物で、幸尋は洵の長男です。
最小限住居は平屋ですか?
いいえ。1952年の自邸は2階のある住宅です。木造平屋の「コアのあるH氏のすまい」と区別してください。
最小限住居を見学できる場所はありますか?
神原・ツネイシ文化財団は、2025年3月に福山市での再現計画を発表しています。ただし、計画の発表は一般公開開始の案内ではありません。訪問を検討する際は、竣工や公開の最新情報を財団へ確認してください。また、再現された建物と、1952年の原作がそのまま現存することは区別します。出典:常石グループ「『最小限住居:増沢洵の自邸』再現のお知らせ」。
まとめ|9坪という数字の先に、空間の選び方がある
最小限住居は、建築面積9坪・延床面積15坪という条件の中で、どのような空間をつくるかに取り組んだ作品です。参考にする際は、数字をそのまま目標にする前に、家族が大切にしたい場所と過ごし方を確かめると、増沢の工夫を具体的な設計相談につなげられます。
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