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株式会社プレゼントデザイン

1月17日、私の建築原点から28年。

こんにちは。
プレゼントデザイン 川端です。

今日は1月17日。

阪神淡路大震災から28年です。

忘れてしまいがちですが、
私の建築の原点です。

今年も私の重い話に
お付き合いいただければと思います。

28年前ですので、
私は20歳でした。

大学の課題の図面を朝4時まで行い、
寝たらすぐ大きな揺れを感じました。

私の実家は大阪市生野区の長屋でした。

今考えれば、長屋は地震に強いと思いますが、
必死に父が本棚を倒れないように
支えていたのを思い出します。

また、母が新聞配達から帰ってきて、
すごい剣幕で、

「私のこと、心配せんかったんか!」

と怒っていました。

みんな、あまりの揺れで
茫然自失だったと思います。

ただ、落ち着き、
私は眠気に負けて、
再び眠りにつきました。

そして、起きてきたときに、
テレビから流れる映像に恐怖しました。

人を守るべき建築が、
人々を押しつぶしている。

大学は休学となり、
神戸方面の友人とはしばらく会えませんでした。

私は建築の学生でしたが、
被災地に行くことが怖く、
ボランティアから
逃げました。

大学4回生となり、
就職活動で、
積水ハウス、ヘーベルハウスの
最終面接まで残ったので、
安心していたら
落とされ、

大学の教授に泣きつき、
就職したのが、
神戸市長田区の建設会社。

焼け野原になった長田区に
面接に行ったことを思い出します。

最初の現場は、
春日野道駅近くの
被災者のためのマンションを建設。

竣工後に被災者の荷物を運ぶのを
手伝ったら、

おばちゃんに

「お兄ちゃん、こんないい建物
 作ってくれて、ありがとう。」

ボランティアから逃げて、
一年目で、何もできていない私に
声をかけてくれました。

涙がとまらず、
その日から逃げることをやめました。

そこから
人をつぶさない建築を目指し、

また、東日本大震災以降は、
できるだけ原発に頼らないでよい、
社会に貢献しようと考えて、

今に、いたります。

まだまだ、私は道の途中です。

犠牲者とその家族に
心から、哀悼をささげて、
今日、一日を過ごしたいと思います。

震災などの大きな災害が起きないと
なかなか変化ができない私たちではありますが、
今に満足せず、変化を恐れず、
良い建築を作り続けていきたいと思います。

それでは、また次回。

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