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株式会社おおいた家づくりコンシェルジュ

~一番の評論家であるということ~

こんにちは。

シーナリーハウスの西村です。

今日も秋晴れの気持ちいい一日の大分でした。

まだ全く衣替えをしてないんですが、そろそろしないとマズいですね。

外に出て、「さむっ!」て言うこと、増えました。

けど、少し厚着すると、今度は日中は暑い・・・

厄介な季節の変わり目です(笑)。

さて、

今日のテーマは「一番の評論家であるということ」についてです。

いきなりですが、ちょっと昔話から・・・

私の長い学生時代、余りにも建築、デザイン、アートが好きで、それも自分が表現したいというよりも、いいものを見たい、いいものを評価したいという欲求が人一倍強く、

真剣に建築評論家という道はないか!?模索していた時期がありました。

それが、あり得ないぐらい人以上に長い、モラトリアム状態の期間が長く、ただでさえ、卒業して就職しないといけない年齢でも、大学院に行くことを選びました。

その当時は、周囲の家族の大反対に合い、それをなんとか説得して実現したのですが、人生、結果オーライ。

今となっては、本当のあの時の決断は正しかったと胸を張って言えます。

あくまで今だから言えることですが・・・(笑)

就職先の方向性を決めないといけない大学院1年の秋から冬の時期は、授業もほったらかしで、数か月、熊本から東京に行って、その当時、出来る限りのいろいろな分野の知り合いに会ったりしたこともありました。

ちょうど大学院1年の夏に、在籍していた研究室が日本でトップの古代ギリシア建築研究をしている西洋建築史の研究室(建築デザインは桂先生に学ぶしかなくて、勝手に桂研究室にもぐりこんでおりました)でして、

その研究室が、当時の文部省の科研費の助成によって古代デルフィの円形神殿の調査に行くことになり、それに同行し、数か月ギリシア滞在生活をするという貴重な経験をさせていただいているのですが、

そのデルフィに滞在している時に、たまたまシアターオリンピックという演劇のオリンピックの第1回目が行われることになっていて(この時の話は面白いので、また後日メルマガに書きます)、そこで演劇の世界を初めて知り、

そこで知り合った人から紹介を受けたこんな人とかに会ったりしていました。
↓↓↓
https://m-sceneryhouse.jp/l/m/IQJhYI6UdTfV1Z

この宮城さんとは、当時、この宮城さんが主宰していたク・ナウカという劇団の広報をしていた斎藤千佳子さんという女性とデルフィで知り合い、その後東京で会っていて、斎藤さんに紹介されて飲んだのですが、

最初に会った時に、白地の名刺に、筆ペンを持ち出し、そこにさらさらと自分の名前を書いて、渡してくれたことが、衝撃で、今でも鮮明に覚えています。

あれが、私が26、27才の時なので、もう30年近く前、宮城さん、今では、SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督ですから、この分野では完全なる日本の第一人者です。

ちなみに、残念ながら、私が東京を離れる時から交流はしておりません。

この当時、演劇に世界に興味がというよりも、いろいろな分野で表現する人への興味から、表現することの意味とかその人のもつパワーとかを知って、自分は完全に表現者の類ではなく、表現する人を評価する人間、つまりは評論家の世界の方が合っているなと思っていました。

建築評論家という就職先はいきなりはないので、建築雑誌とかの就職先は探していたように思います。

この大学の授業も出なくてという、西村行方不明は、先生たちの間で、ちょっと問題になり、大学院修了に必要な最低単位が足りない騒動になったことを思い出します(笑)。

大学院では休学とか留学はあり得ても、留年は基本ないので、相当に問題になったようです。

地方の国立大学、今考えても。とてもとても固い文化でしたね。

それだけ真面目なところだったということですが(国立大学、当たり前ですよね(笑))・・・

けど、

この期間の濃い時間の経験は、その後、仕方なくありきたりの建築設計事務所への就職をとりあえず決め上京し、

その後すぐに建築設計の道を諦めるという、普通だと考えられない大きなキャリアチェンジをするに至る決断に大きく影響していると思います。

話を今に戻しまして・・・

一番の評論家であるということ。

これは、

社内的にも私が一番厳しい目をもつ。

ということです。

今の時代、自分たちの自己満足で「頑張っています」と努力賞で評価される時代ではなく、

残酷までもSNSなどのせいで世間の目は相当に厳しく、

実際の建物を見に行くまでもなく、その見に行く前の段階で、ふるいにかけられるということになります。

ですから、

いろいろな意味で「目利き」が全てとなります。

あえて設計をしない私ですが、設計力のあるなし、設計の上手い下手の「目利き」はそれなりだと自負しております。

それは、建築家を志していたことで、一応、設計の基礎、業界の「いろは」を学んでいるということもありますが、

それよりも、

圧倒的にモノを見ている。体感している。

という要素が大きいと思います。

評論家として自分で認められることをすべきだと考え、

先ずは、

全国基準の鹿児島ベガハウスの家づくりを徹底的に大分に浸透させること。

幸野さんの力添えでスタート時から邁進しております。

先日の幸野さんを交えてのシーナリーハウス全体会議でも、シーナリーハウスの未来戦略として、

ベガハウスを卒業した幸野さんの新しいテーマが、これまで意識が弱かった「性能」に対する意識。

簡単に言うと「デザイン」と「性能」の融合ですが、

同時にコストパフォーマンスも考えていかないといけませんので、これは実現するのはそう簡単ではありません。

この新しい分野には、シーナリーハウスと一緒になって、デザインと同じように極めていく!との所存ということですので、大いに期待したいと思います。

また、

もともと「性能」分野に強く、デザインへの勉強も貪欲な、若い東京在住の設計士とのコラボも視野に入れております。

この彼とは「シーナリーの家」プライベートサウナプロジェクトで設計を協業しており、現在、モデルハウス「シーナリーの家」にて建築工事がスタートしたばかりです。

この「シーナリーの家」プライベートサウナプロジェクトについても、後日、メルマガにて詳しくご紹介させていただきます。

モデルハウス「シーナリーの家」の裏に、板で囲われた空間でオリジナルで造作するシャワーブースとサウナが建築されます。
↓↓↓
https://m-sceneryhouse.jp/l/m/Bu6IYilPifwsUY

では、
今日は、これで
失礼させていただきます。

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