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株式会社おおいた家づくりコンシェルジュ

~パッションの人、ジョージ国広さんとの出会い~

こんにちは。

シーナリーハウスの西村です。

先週末の全体会議でも話題になったのですが、

シーナリーハウスと言えば、パッション。

パッションがなければシーナリーハウスではない(笑)

ということで、

今日のメルマガのテーマは2022年4月15日配信のメルマガで書かせていただいたテーマを活用させていただきまして、

「パッションの人、ジョージ国広さんとの出会い」についてです。

みなさま、建築家・ジョージ国広さんを知っていますか?

こんな書籍を出していたりします。
↓↓↓
https://m-sceneryhouse.jp/l/m/CUsvtCgj2WhuhZ

国広さんはこの本の中で、

「なぜ私たちに建築という教養が必要なのか」その理由をこう述べています。

「建築という教養が広まれば、大きな権力や資金力を持つ人たちも低レベルな意思決定はできません。おかしな建物をつくれば、世間から批判を受け、「無教養な指導者」として軽蔑されるでしょう。みんなが納得する公共建築やオフィスビルなどを建設するには、彼らも建築への理解を深める必要があります。専門家だけでなく、一般の人々が建築を「教養」として身につけ、建築の良し悪しを語り合えるような社会にしたい。それを願って、僕はこの本を書きました。」

いい事言います。

決してメジャーな人ではないので、おそらく、知らないでしょうね~

この人の名前を知っている人は一般の方ですと、ほとんどいないかと・・・(笑)

建築業界の人で私たちの世代では知らない人はいないかな!?

工務店業界の人はほぼ知らないでしょうね。

実はスゴイ人ですけど、メジャーな人ではありませんので。

数年前に退官されましたが永く国士館大学で建築デザインを教えてこられた教授であり建築家です。

カリフォルニア大学バークレー校、

ハーバード大学大学院デザインスクールで建築デザイン学び、

1996年まで建築家としてサンフランシスコ、ロスアンゼルス、ニューヨークで活動、

1997年に拠点を東京に移し、

1998年から国士舘大学で教鞭をとり、

2022年に国士館大学を退官。

実は私、20年前ぐらいに偶然にも接点がありまして、

国広さんとは国士舘大学の学部改編のコンサルティングの仕事をした時にご一緒させていただきました。

この仕事は、とある広告代理店の知人から紹介され、コンサルティングの仕事として私個人で受けた仕事であり、

当時の私のコンサルティングの仕事としては一番大きな仕事でした。

工学部建築学科の主任教授であった国広さんとは将来の工学部のあり方、建築学科のあり方について、

世田谷の一等地にある国士舘大学構内で真剣に何度も議論させていただきました。

建築学科出身で建築とは違う世界で仕事をしている私にとても興味を持っていただき、

「自分も若い時は好きな道で成り行きで建築家という仕事をしていたが、今の自分は建築家ではない。建築の世界と社会をつなげることをする、建築活動家である」

と言っておられました。

現に、その時は建築デザインは自分では一切せずに、

「自分は国士館から建築家を育てる!」

と大学での建築家教育に燃えておられました。

そこで誕生したのが、国士館大学出身で一番有名な建築家である前田圭介さんです。
↓↓
https://m-sceneryhouse.jp/l/m/iEgCmTyQCsKm3x

打合せで国広研究室に行くと、いつも、学生さんが起立して大きな声で挨拶をし、お茶を丁寧に出してくれました。

国広さんが言うには、

「こいつらバカなんだから、せめて礼儀ぐらいはキチンとしないと社会で使い物にならないよ~」

と、学生に厳しく社会人教育を施していました。

また、

「建築家の世界は、完全に下剋上。偏差値が低い大学出身者でも勝てる世界。国士舘のアイツらは普通の企業に就職したら負け。

学歴だけで就職して、そこでの出世は難しい。だから、俺は自分で一本立ちできる建築家を育てるんだ。」

そう、熱く語っていました。

カリフォルニア大学バークレー校、その後、ハーバード大学大学院という建築を学ぶ世界ではエリート中のエリート出身である国広さんが言う言葉には、とても説得力がありました。

その当時、

今のように自分が建築に関わる仕事をするなんて思ってもなかったのでなるほど~、客観的視点が凄いなというぐらいでしたが、

今の私としては恐ろしくガテンがいきます。

学部改編プロジェクトの半年間だけのお付き合いだったので本当に短い間だったのですが、

とにかく、建築に、建築業界にとても「パッション」のある方で若々しくカッコ良くて明るい人であったことが思い出されます。

こんなこともありました。

安藤忠雄さんがアメリカで初の仕事をされる時、アメリカの建築事情を知らない安藤さんの現地コーディネーター役をしたのが国広さんらしく、

それから安藤さんとは親交が深くなり、ずっと懇意にされていたようです。

ちょうど、

私が世田谷詣でをしている半年の間に国士舘大学の新設ホールが建築され、

国広さんプロデュースで、そのこけら落しのイベントに安藤忠雄さんを呼んで学生向けの記念講演会が開かれました。

国広さんに招待され、特別に安藤さんの控室に入れていただき、少し雑談をさせてもらいました。

そして、

安藤さんの本にサインをいただき握手してもらった記憶があります。

あの世界の安藤忠雄と握手です(笑)。

確かそのサイン入りの本は弊社事務所にN2 Life Style Libraryにあるはずです。

国広さんという人が面白かったのは、多くの一流の建築家を知ることで自分が建築設計をすることに向いていないことを知り、

教育者やプロデューサーに廻った人生を歩んだということです。

そこに専念する人間が少なかったから。

そこをする人間が建築界に必要だと思ったから。

潔いけど、なかなか出来ないことです。

建築愛があるからこそ、敢えて自分が設計とか建築デザインの道で生きるよりも、

自分の才能がより活かせる場所で建築界に貢献するというスタンス。

建築愛への「パッション」がそうさせたのだと思います。

建築活動家。

国広さんだからこそ、なせる業だと思います。

気鋭の建築家として、JIAの新人賞も獲得している、前田圭介さんをはじめ、

そのパッションを受け継ぐ人間も多く産まれているのだと思います。

やはり、「パッション」は人を動かしますね。

国広さんとの出会いを思い出し、感謝し、私も「パッション」を大事にしていきます。

そして、

シーナリーハウスを通して、

スタッフに、お客さまに、多くの関わる方に、

「パッション」を伝えていければと思います。

では、

今日は、これで失礼させていただきます。

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