こんにちは。
シーナリーハウスの西村です。
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住まい手さんの話を聞いてみよう!
大分市竹中「光にわの家」の暮らしの見学会
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5/14(日)のみ
「光にわの家」2021年秋お引渡しの住宅
暮らしの見学会を開催させていただきます。
① 10:00~予約NG<2組先約あり>
② 11:00~予約NG<2組先約あり>
③ 13:00~予約NG<2組先約あり>
④ 14:00~予約NG<2組先約あり>
⑤ 15:00~1組予約可能<1組先約あり>
※各時間帯、1組~2組までとさせていただきます。
↓↓↓
[お問い合わせ]フォーム
https://m-sceneryhouse.jp/l/m/TZijgodZova2TD
(例)
5月14日(日)③13:00~を希望します。
夫婦、小学生の子供1名で参加します。
のように、
[お問い合わせ]フォームにご記入いただけますと幸いです。
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GWも終わり、今日から通常モードですね。
みなさん、5月病にはお気を付けくださいね(笑)。
GWのおかげで5月はむっちゃ短いですね。
もう中盤に差し掛かってきます。
いろいろとイベント事、会社としても大きな動きもありますので、スタッフ一同、気を引き締めていきたいと思います。
さて、今日のテーマは、またまた「獺祭」ネタであります。
こんな記事を見ました・・・
↓↓↓
<前編>
https://m-sceneryhouse.jp/l/m/3FudqMhAnggHAP
<後編>
https://m-sceneryhouse.jp/l/m/dIHcFNbAnezGIo
「獺祭」ネタ、好きだよね~と言われそう(笑)ですが、
同郷、それもとても小さな同じ町内出身の会社が世界的な会社になっていることに驚きと尊敬がそこにはあり、経営者としての学びも会社としての学習のヒントがあります。
とても面白い記事なので、ちょっと長いですが、<前編>、<後編>と是非、全文を読んでみてください。
<注>シーナリーハウスのスタッフ、関係者の方は絶対に読んでください。つくっているモノ、業界は違えど、私たちの業界、シーナリーハウスという会社と重なることが多い事にビックリすると思います。シーナリーハウスの第二創業期を私と一緒に考えて実行してもらうためには、とても参考になる記事です。
最近、私のメルマガを読みはじめた方はご存知ないと思いますが、私は、もしかしたら、獺祭をつくっている旭酒造という会社に勤めていて、そこの営業部長とか、役員をしていたかも知れないという事実・・・
あくまで、「たられば」の話ですが(笑)、
大分に来る(2009年の12月)ことになる直前の2009年の夏に、現在の会長である桜井社長に何度か会って、旭酒造に自分を売り込みに行って、ある条件を私が飲めばそのまま採用されていたかもしれないという話です。
詳しく言いますと、↑この記事に中にもありますが、当時、大きなマーケットであるアメリカで高級レストランとかに飛び込み営業とか営業攻勢をかけていたのですが、それをやっていたのが、現社長である桜井さんの長男さん。
その長男さんの代わりにアメリカで営業の責任者をしてくれないか!?それだったら、雇えるよ。という話でした。
米系外資系コンサルティング会社に勤めた経験を全面に出して自分を売り込んでいたので、ちょうどいい!ってなったのだと思いますが、
当の私は、英語は全くダメ。会社では毎月TOEICの試験を受けなければいけなかったのですが、いつも酷い点数で、それでクビにはなりませんでしたが、英語必須のプロジェクトには一切関わらせてはもらえませんでした。
どうせ、日本の会社で日本人相手にコンサルティングするんだから英語出来なくてもいいでしょ!って高をくくって仕事しておりました。
そういうこともあり、旭酒造への入社の話は立ち消えて、その後、紹介があった大分に来ることになるわけです。
人生って過去をたどると面白いもので、↑この話は私が大分に来ることになる一つのターニングポイントであったことは事実です。
アメリカへ行く話でなくても、もし、桜井さんが私をそのまま雇っていたら・・・
私は大分には縁の所縁もなかったので来ることはなく、今の「シーナリーハウス」は誕生しなかったということになります。
本当に面白い・・・
その当時(2009年)、もう既に日本酒の「獺祭」は有名でしたが、その当時は旭酒造の売上は十数億程度であたっと思います。
この↑記事にもあるように、その時から海外を、特には海外の富裕層マーケットを意識していたことがわかります。
そして、今や売上165億円。当時の10倍です!
いろいろな手を打っていたとはいえ、とんでもないことが起きてしまっています。
やはり、ビジネスの力ってすごいですよね。
2009年の夏、仮に旭酒造に雇われたとしたならば、それはそれで、自分のビジネスの力を発揮できていたような気はします。
それはそれとして・・・
けど、
30歳まで超真剣に建築を勉強していた人間としては、一回りして47歳で建築の世界で仕事をすることになったことに勝手に運命的なものを感じ、
それが地元の山口ではなく、何故かここ大分であるということに何かの意味を感じます。
旭酒造さん、桜井さんと縁がなかったことで、今の大分での「シーナリーハウス」、シーナリーハウスを通してのみなさんとの関係性があるのですが、
知り合っていたことへの縁は大事にしたいと思い、いまだに「獺祭」ネタには関心がいくわけであります。
久しぶりに見つけたこの記事を改めて読むだけでもとても勉強になります。
最大のピンチこそ自己変革のチャンス。
シーナリーハウスもそうです。まさに、そうだと思います。
日本人のものづくりへの「手間」をかけることを大事にすること。
「手間」をかける文化。
これってシーナリーハウスでもとても大事にしていることです。
ドンドン凄くなる「獺祭」王国。
そのチャレンジは凄い!
桜井会長の72歳でのアメリカ乗り込んでのパワー。
54歳の私は負けてられませんね。
桜井会長は自分へのモチベーションアップのためにフォード・マスタングを購入して、毎日自分を鼓舞しているようですが、
それに連れられてではないですが、私も第二創業期へ向けて自分を鼓舞するように新しい車を購入します(当然ですが、ムスタングではないです(笑))。
世代の問題でしょうか!?車が好きな人間は、どうしても車が仕事のモチベーションになるんですよね。
車購入の最終決断に際しては、この↑桜井会長の記事に後押しされたことはマジのマジなんですが、
一番の理由は以下です。
この春からちょっと足の悪い90歳の母を大分に呼んで、母の外出にどうしても車椅子を車にいつも積まないといけなくなりまして、
私専用の車が2シーターのスマート(みなさん、スマートってご存知でしょうか?かなりマニアックな車です(笑))なので、どうしてもそれに支障が出てきまして・・・
スマートはかなり私のお気に入りの車なんですが、もう乗り始めて10年近くになりましてあちこちガタもきていて、ちょっと長距離を運転するのに危ないかな!?という一抹の不安もありまして(命の危険を感じることもありまして経営者としてはちょっとマズイ・・・)。
スマートでの高速道路の使用は最近全くもって控えていたりしていて、ちょっと移動にはかなりのストレスな状態でした(これも経営者としてはマズイ・・・)。
もともとスマートを購入したのも、購入当時、保険営業をバリバリしていてお客さまのご自宅に行くことも多く、
その時に小さな車が狭い道、狭い駐車場、ちょっとした路駐などにとても便利で営業専用の車として凄く便利で可愛いヤツだったのですが、
今の私の仕事のスタイル(自宅、金池事務所、別府のモデルハウスを出来るだけ短時間で何度も行き来したい)にはちょっと無理がでておりました。
こんな車をモチベーションにのところだけ、真似ても仕方ない(笑)のですが、私もいつまでも挑戦する経営者、ビジネスマンとして72歳の桜井会長に負けないように頑張っていきます!
全くのアルコール類がダメな下戸で「獺祭」の本当の美味しさがイマイチ良く分かっていない西村ですが(笑)。
もし、
このメルマガを読んでいる方で、かなりの「獺祭」ファンの方がいらっしゃったら教えてください。
何かいいことあるかもしれませんよ(笑)。
ということで、
今日は、これで
失礼させていただきます。
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