こんにちは本田です。
さて先日こんな質問がありました。
いつもメルマガ楽しみにしています。▼質問▼
本田さんやプロがお勧めする家を建てる前に観て参考になったり、純粋にプロ目線で良いと思う建物があれば教えて欲しいです。機会があれば観にいきたいなーと思います。本田さんやいつも仲良くされている工務店さんのお勧めも聞きたいです!是非動画で!
ありがとうございます、良い質問です♪
良い設計をするために「目を養う」って言うことはとても大切だと伊礼先生に教わりました。
伊礼先生とはこの方です↓
住宅設計者の中で人気の建築家です。
設計に関しては私が語るのは烏滸がましいのでさておき、なんといっても優しい人柄がめちゃ好きです笑
そんな伊礼先生がされている設計学校に通った記事がこちらです↓
はい、そんな伊礼先生が「目を養う」事はとても重要だと言われます。
それは住宅設計者だけでなく実際にお家を建てるオーナー様にも当てはまるわけです。
やはり実際に色んな建物を観てみる事で今まで良いと思っていた建物が???になったり、新しい発見や気づきがあります。
今回は私が実際に観てみてこれはよかった!っていう住宅建物をご紹介しますので、機会があれば是非足を運んでみてください!
今回は5つご紹介したいと思います。
目次
「聴竹居」とは…… 美しい建築に遭遇する
まず一つ目は2018年10月に新住協総会が関西支部の先導で行われて、その時の分科会(勉強会)のツアーであったので見学する事ができました。
当時はラッキなーことに内観の写真撮影もOKでした(普段はNG)なのですがSNSはNGなので外観だけの掲載を。
【聴竹居】とは、故藤井厚二氏が、京都府の大山崎町に建築した邸宅で、1923竣工したされています。
現代社会の新しい建築物は、今でも多くの実務者が足を運んで勉強に訪れる建築になっています。
聴竹居の魅力とは
聴竹居は、和洋折衷の魅力が存在し、日本の気候風土に、西洋的スペース空間の構成が非常に上手く融合しています。
また、建築物に、自然の力も上手く利用して、環境との共生にも成功しています。まさに、聴竹居は、近代建築も名作ですね。
藤井厚二という人物
聴竹居を設計された藤井厚二という人物は、竹中工務店でお仕事をされていた経歴があります。
生誕は、1888年で広島県福山市。
1913年には、東京帝国大学を卒業して、その後、竹中工務店に入社しています。
1919年には、竹中工務店を退社し、翌年には、欧米で建築を勉強されて、京都帝国大学工学部講師を勤めていました。その後、教授としてご活躍をされ、1938年にお亡くなりになります。
藤井厚二氏が、建築物の理想としているものは、一番日本の気候や風土に合ったものであり、それが日本人の体質に一番適応している建築物であると主張をしています。その信念に従い、実験住宅として自宅に誕生したものが、聴竹居になりますね。
聴竹居の様々な試み
聴竹居は、藤井厚二氏が仕掛けた実験住宅であり、様々な試みがなされています。
聴竹居の外観は、和風建築なのですが、どこかリズム感も感じとることができるモダン建築。欧米に存在しているモダニズムと、日本に存在する数寄屋が高いレベルで上手く融合しています。
聴竹居の、良い感じにこじんまりしている玄関をあがれば、そこには広々とした居室があらわれます。板間の居室からは、食事室、客室、縁側、読書室へと、それぞれの仕切りを開けばつながる空間の作りになっています。
その場に佇めば、居心地の良さはなかなかと落ち着く空間になりってましたねー。
このような居心地の良さを実現することができたのは、周辺の環境をしっかり考えて作られた建築物だからということです。天王山には淀川からあがる西風が吹きます。それを床下から室内へと上手く取り込んで空気の循環をつくり出しているということなのです。
また、居室横の段が上がった畳には、椅子としても使用することができる段下にスライドがあります。そこを開ければ、土台につくった風穴からの風が入ってくる仕掛けになっています。
また、聴竹居では、屋根裏を利用して換気を行ったり、地下から冷気を取り込むアイデなどが盛り込まれています。
日本の暑い夏をできるだけ涼しく過ごすためにどうすればいいか、それは今後もっと私達がしっかり考えていかなければならないテーマです。聴竹居からもいろいろと学ぶことがあると思いますね。機会に頼る涼しさだけではなく自然の力も考えた快適性も大切にしたいなーと思いますね。
更に、聴竹居では、窓や仕切りに円形のデザインを使用して、視覚的にスペース空間をより楽しむことができます。このような時代に既に、環境と共生する建築物が誕生していたことはとても興味深い。
昔の人たちには、より自然環境と向きあうことができるゆとりと豊かな精神があったのかもしれません。
私達の現代においても、地球温暖化による住環境を考えていかなければなりませんし、資源エネルギーの問題、シックハウスの問題、変化する家族構成の問題など……、住環境問題は、山積み。
そのような現代において環境共生住宅で解決出来ることはいくつもあるはずです。
聴竹居に、環境共生住宅の原点があり、私達が、いま、聴竹居を見学する意味はとても大きいのだと思います。
聴竹居は、2017年7月にはその価値が重要視されて、国の重要文化財として指定されております。
聴竹居の情報
聴竹居があるのは大山崎町です。天王山を背にして、木津川・宇治川・桂川の三つの川が、ここで合流して淀川になっています。また、大山崎町には、千利休の茶室である、「待庵(たいあん)」、重要文化財の「宝積寺(ほうしゃくじ)」、更にアサヒビール大山崎山荘美術館があります。
まさに、様々な近世近代建築をこの町でいろいろ学ぶことができます。
聴竹居は、現在、一般社団法人聴竹居倶楽部によって、一般公開がされています。見学をしたいという方々は、地元の方々によるスタッフに丁寧に案内をしてもらうことができます。
見学することができるのは、水、金、日曜日です。完全予約制となっています。見学をしたいという方々は、公式ホームページより問い合わせをお願いします。http://www.chochikukyo.com/
住所:京都府乙訓郡大山崎町大山崎谷田31
※2021年1月下旬まで内装工事中の為現在は見学できないみたいです汗見学に行かれる際は事前に確認してください!
電車:JR山崎駅、阪急大山崎駅からは、それぞれ徒歩約10分~15分程度です。
車:名神高速道路 「大山崎IC(※京滋バイパス「大山崎JCT」に併設)」より車で5分(町営駐車場に駐車。専用駐車場はありません。)
軽井沢の吉村山荘とは 建築の美を学ぶ
2つ目はこちら。2019年11月に訪れた、軽井沢にある吉村順三氏の建築された吉村山荘ですね!
残念ながら中に入ってみることは出来ません。以前は建物内の見学は出来ません泣
外観を遠目で見るだけの通りすがり的な見学でしたがめちゃ良い感じの佇まいでこれにはビビッと来るものがありましたねー。
その時の事はブログにしてあります。
吉村順三先生のお墓参りもしてきました。
同じ軽井沢にあるアトリエ山荘は中まで見学できますのでお勧めです。
こちらはいつでも見学できる訳ではなく期間現地で予約制の公開になっていますのでご注意ください。
ただ今はコロナ禍にあるので2020年は見学中止となっていました。残念。
記事は2019年の記事です。
軽井沢の吉村山荘とは
吉村山荘から、現代につながる建築物についていろいろ勉強できることもあるかと思います。軽井沢の山荘は、吉村順三氏ご自身で利用していらっしゃった別荘で、現在、建築を勉強している方々は、この別荘の存在は特別だという実務者は多いです。
吉村順三氏は、この軽井沢の山荘で、心地よいスペース空間を作ることを実現しようとしたのです。
山荘へは軽井沢駅から、北へとずっと進んでいきます。鬱蒼と茂る林の中にあります。
自然と上手く調和した質素な外観がとても印象的です。居住部分はコンクリートのピロティにのって2階へと持ち上げられています。木々に囲まれ、自然と一体となって浮遊感も感じ取れるのではないでしょうか。
コンクリート部を一階にし二階に居住スペースを持ってる設計は吉村先生の作品ではよくみられます。コンクリートと木造の混構造であったり、配置、片流れの屋根、更に二階からの景観など……、一度行けば目にインパクトはすごいです。
建築実務者や一般の方でもここは軽井沢に行かれたら、実際に訪れて欲しいなーと思います。
吉村山荘は、美しさだけでなく、住む人たち、周囲の人たちに対しての思いやりのようなものも感じとることができます。
吉村山荘を目の当たりにして練りに練った感じが直に伝わって来るでしょう。美しいプロポーションは、まさに感動ものです。前庭では、ミニコンサートなどが開催されていたと言われています。
杉板の縦張りの外壁の押さえ縁は以外と細めです。裏も、開口の取り方などは美しさに満ち満ちています。本当にさりげなくて控えめで、近づくとより美しいです。
玄関までの階段には、はね出して架けたガラスの屋根があり、カーポートも備え付けられてありますが、風化して自然と溶け込み、プラスチックっぽい既製品としての不自然な感じはここにはありません。
また、北面道路境界の丸太材を使用した簡単な木製柵にも深い趣を感じます。
吉村順三という人物
吉村順三という人物は、東京でご誕生。そして、 東京美術学校で芸術について勉強をされていらっしゃいます。東京美術学校とは、現在の東京芸術大学ですね。まずは吉村順三氏は、東京芸術大学で芸術について勉強をされて、その後、レーモンド事務所において、モダニズム建築を勉強されています。
レーモンド事務所とは、1919年に旧・帝国ホテルの設計監理業務の為に、建築家フランク・ロイド・ライトとともに来日したアントニン・レーモンド氏が1921年に開設した建築設計事務所です。星薬科大学や、東京女子大学、また、軽井沢聖ポール教会、聖心女学院、……など偉大な建築物が現在に至るまで誕生しています。アントニン・レーモンド氏に日本建築が何かを教えたのは、これの吉村順三氏だと言われています。
吉村順三氏の作り出した建築物は、この現代社会に至っても住みたいと思わされるとても素晴らしいスペース空間です。
吉村順三氏は、1997年に亡くなっています。
吉村山荘以外の建築物
吉村順三氏は、軽井沢の山荘以外にも、いろいろ魅力的な建築物を建てられていらっしゃいます。先ほどご紹介したブログにある旧軽井沢にある〈脇田美術館〉に隣接している脇田和の別荘「アトリエ山荘」も吉村順三氏によるものです。
動画でもご紹介しています。※内部まで撮影していますので、まだ訪れていない方で楽しみにしている方はみないでください!
田園調布の猪熊邸も吉村順三氏作の建築物でございます。田園調布の猪熊邸は、洋画家 猪熊弦一郎の自邸です。RC造3階建ての二世帯住宅です。現在まだ個人の所有物なので、場所は公開しておりません。
また、皇居新宮殿の設計において、吉村順三氏も設計にかかわっています。吉村順三氏は、基本設計までを行っています。その後、実施設計は臨時皇居造営部が行なっています。このケースでは、吉村順三氏は、宮内庁と折り合いが上手くいかなかったため、途中で辞退したと言われています。シンメトリー性や使用材料と言ったものは吉村順三氏の意思が踏襲されているのだと思いますが、その後大きな変更もございます。
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