こんにちは。こんばんわ。
タカハシ工務店の高橋真悟です。
今度改装するお家の材料を
受け取りに、先日お施主さまと
一緒に京都・京北町まで足を
運びました。
京北町といえば北山丸太で
知られる地域ですが、
工務店として仕事をして
いながら、実はこれまで
京都の林業の現場を訪れたことが
ありませんでした。
せっかくの機会なので、材料を
受け取るだけでなく、京北の山が
どのような場所なのか、
この目で確かめてみたいと思い、
少し見学もさせていただきました。
今日のメールマガジンでは、
地域の林業について少し
書いていきたいと思います。
京都市右京区・京北町。
千年を超える林業文化が息づく
この地域は、古くから京都の
暮らしと文化を支えてきました。
京北の森は、ただ木を育てる場所
ではなく、人が森に学び、
森と共に生きてきた
歴史そのものです。
戦後復興が進んだ1950年代、
北山杉の磨き丸太は茶室や数寄屋
建築、旅館建築などで高く
評価され、需要が急増しました。
1960~70年代にかけては技術が
さらに洗練され、京北の山々は
職人の声で賑わい、林業は地域の
中心産業として栄えていきます。
中心となる樹種はスギ(北山杉)で、
まっすぐに伸びる性質を活かし、
丁寧な枝打ちによって節のない
美しい木肌が生まれました。
用途によってはヒノキも使われ、
香りや耐久性を活かした建築材として
重宝されました。
1980年代に入ると、北山丸太は
絶頂期を迎えます。
高級住宅や料亭、旅館建築が全国的に
増え、磨き丸太の需要はピークに
達しました。
この頃の京北は、山に職人が溢れ、
市場は活気に満ち、林業が地域経済の
中心として輝いていました。
しかし1991年のバブル崩壊を境に
状況は一変します。
高級建築の需要減少、安価な
輸入材の流入、住宅様式の変化、
林業従事者の高齢化が重なり、
1990年代後半には北山丸太の市場は
急速に縮小しました。
かつて山に響いていた職人の声は
少なくなり、京北の林業は長い
低迷期に入ります。
それでも京北の森は歩みを
止めませんでした。
2000~2010年代にかけて、
公共建築での国産材利用の推進や
森林環境税の導入、木育活動の
広がり、地産地消の家づくりなどが
進み、京北の森に再び光が当たり
始めます。
森を守りながら新しい価値を模索する
動きが、静かに、しかし確実に
広がっていきました。
そして2020年代、
京都市域産材ブランド
「みやこ杣木(そまぎ)」
が誕生します。
みやこ杣木は、京都の森で育った木を
京都の暮らしと未来に生かすための
取り組みであり、京北林業の新たな
指針となる存在です。
ここでいう
「杣木(そまぎ)」とは、
古語の“杣=木を伐り出す山・木を
扱う職人”に由来し、
杣人(そまびと)が手をかけて
育てた木を指します。
京北の杣木の中心となる樹種は
スギ(北山杉)で、まっすぐに
伸びる性質を活かし、枝打ちや
間伐を重ねることで節の少ない
美しい材が生まれます。
自然任せではなく、人の手で長い
時間をかけて育てる木であることが、
杣木の大きな特徴です。
杣木は、単なる木材ではありません。
森の状態を整え、次の世代へ健全な
森林を引き継ぐための
「森づくりそのもの」
を体現した素材です。
枝を落とし、光を調整し、木の成長を見守る作業は、一本の木を
作品として育てるような営みであり、
植えてから伐るまで数十年という
時間を必要とします。
その長い時間と技術の積み重ねが、
京北林業の誇りであり、文化そのもの
でもあります。
みやこ杣木は、こうした伝統と技術を
受け継ぎながら、森を守り、
地域を支え、京都の未来につなぐ
新しい循環を生み出しています。
京都の建築に地元材が使われる
機会も増え、森と都市が再びつながり
始めています。
京北の森はいま、新しい時代の
入り口に立っています。
地域材を活かした建築の広がりや
若い担い手の育成、森林管理の
高度化、観光や教育との連携による
森の価値の再発見など、未来へ
向けた挑戦が始まっています。
過去の栄光も、衰退の苦しみも、
すべてを抱えながら、京北の森は
未来へ歩み続けています。
その姿は静かでありながら力強く、
確かに次の時代へと進んでいます。
今回訪れた京都・京北町の材料を
使いたいというお施主さまのご意向を
受け、私たちもその思いに応える
形で、これからの改装工事に
取り組んでいきたいと思います。
今日はここまで。
それでは素敵なお家造りを
していきましょう。(^O^)
2026.2.4(水)№376
※タカハシ、次回の家百ライブ出演は
2月11日水曜日!!
お昼12時スタート
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